□□昨日のつづき□□
2007年 4月 6日号 VOL.059
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│◇◆◇ 昨日のつづき ~ボストンバッグ~ ◇◆◇
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以前にも日本民族の特殊性に触れた事があるが、今回は<戦争観>について考えてみたい。 古代より様々な理由で繰り返されてきた戦いの中身は、日本民族と諸外国では驚くほど異なる。 黎明期から戦国時代を経て西南の役までの日本国内の戦いは、王族・貴族・武士階級の間での権力闘争であり、町民や農民は直接的には関与しないものであった。 領主は代わっても町・農民は同じところに住み続ける。
それに対して、西欧・中東の戦争は宗教や民族の対立であり、基本的には殲滅戦争=ホロコーストである。 島国であるわが国と違い、国境は戦いの結果で大きく移動を繰り返してきた。 隣国・中国も春秋期より似た歴史を持っている。
この事は「国」の概念に差異を生む。 農民を含む一般庶民は、国を守るべき支配者階級が戦いに敗れる時、他民族による命と財産の保障は得られない。
従って、城を中心として工・商人の住居や店が集まり、その外側を城壁が囲むような城塞都市の考えが生まれて来る。非常時には農民も城内に入れ込んでしまうのだ。
フランスのカルカソンヌ・イタリアのペルージャが有名であり、古代中国でも国とは高い城壁に囲まれた内側の事を指す。 他国に攻められれば国民全てが守備要員と変わる。 すなわち籠城状態であり、籠城に失敗した時は「死」を意味する。
だから、兵力に決定的な差があるときは、国民全員で国を捨て、大移動を敢行する。
さて、このような歴史は日本民族ほどには「土地・不動産」には執着せず、資産は非常時に持ち運べる「貴金属など動産」に向かい、それらを入れて運搬する道具たるボストンバッグなど大型ラゲージに対してへの強い信頼を求めた。早い話、命の次に大切な財産を入れたバッグは壊れたら困ると言うわけだ。
筆者は以前、ドーバー海峡近くのカレで地元の宝石商から、こんな話を聞いた。
第2次大戦末期、ドイツ軍の没収を怖れて、満潮になれば波に隠れる海岸に鞄ごと埋めて、解放されてから掘り戻したと言うのだった。 当時、映画のようなこの話にとても感動した事を覚えている。
不思議な導きで、革職人として生活をしているわけだが、ボストンバッグを作る度この話を思い出す。 この国では、ここまで突き詰めた思いでバッグを選ぶ人は無い。
しかし、前述の逸話を思い、壊れないようなデザインを心がけている。 結果として、一枚革を使ったシンプルなものになってしまうのだが、実はこの「シンプルな」が、一番難しいのも確かなのである。 07年3月発表のボストンも同様である。
━━ 明日に続く (K) ━━