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VOL57 ─レトリックを考える─

□□昨日のつづき□□

2006年 7月 31日号  VOL.057

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│◇◆◇ 昨日のつづき   ~レトリックを考える~ ◇◆◇
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旧くからの友人で有能なバイヤーでもあるA・Y氏に「近頃“昨日のつづき”を書かなくなったがどうしたのか?」と聞かれた。  何と答えたかは忘れたが、書くことに空しさを感じていたのは事実だ。  仕事への信念や情熱を失った訳では決してない。  自らの生み出すバッグや靴や財布小物たちに対する自信の程を、そして革の世界での生き方を多くの人々に知って欲しくて始めたメルマガだったが、筆力の無さの所為か上手く伝わらないもどかしさを感じたのも確かだ。

現代の商品流通は、マーケ力・企画力・宣伝力などなど、商品の本質的なクオリティーとは別の部分の力量が優劣を決定づけている訳で、その内容は話題性作りとか、キャッチコピーを含むレトリックの上手下手が全てを決定づけているのだろう。
対面型販売の小売店が衰退し、スーパー・コンビ二などの業態が当然のようになって久しいが、更に人と人との触れ合いの無いネット販売に入り込んだ今商品を言葉で飾り立てる事は、最も重要な研究すべきものなのだろう。
あらゆるサイトをのぞいても「これは最も良い商品である」と語っているのは当然の事だが、そこにはレトリックを駆使する<商人>と、それを信じるか・信じないかの選択権をもつ<ユーザー>の2者しか存在していない。

<職人>はレトリックを武器にする必要があるのだろうか・
もともと職人の世界に、自分の仕事をレトリック(修辞)する必要は無い。
「腕」が良いか悪いか、それだけである。
レトリックは本来、商品の「価格」と「価値」がつり合うかどうかの、せめぎあいで生まれるものであろう。  自らに恥じるかどうかが矜持で仕事する職人の思いはネット社会では、どのようにユーザーに伝えたら良いのだろうか?

フリーハンドは、例えネット販売を通じてのお客様であっても、人が作り人が説明し、人が買うと言うつながりをこれからも大事にしていきたいと思う。

━━ 明日につづく (F) ━━