□□昨日のつづき□□
2003年8月15・25日合併号 VOL.030
──良い革製品を考える(7)──
タンニンで鞣された革の重厚な「質感」に対して、クローム革やまして合皮アクリル製品に質感を感じないのは何故なのだろう。
又、クローム製品を所有している時の満足感の無さは、何処に由来するのだろう。
購入した時を思い出せば、価格の安さ・軽さ・使い勝手の良さ等、手に入れた時の充足感は誰もが感じていた筈なのだ。 しかし、時間が経つにつれて愛着とでも言うべき満足感は薄らいで行く。 HP「自慢の逸品コーナー」で15年・20年と使用したものを公開し合っているタンニン革のものとは対極にある。
薄らいで・・・と書いて気づいたが、それは長い歴史の中で人間が使い続けてきた天然素材のもつ『美』が、似ていて非なるものに置き換えられた時、内なる『美』を持たない軽薄さを感じてしまうのではないだろうか。見た目は同じでも、プラスチック製の飯椀や汁椀では何うしても『美味さ』を感じないし、ビニール製の畳ゴザに寝ころんでも『気持ち良さ』や『和らぎ』は味わえない。
天然素材・自然素材は出来るだけ、その本質を変えないよう加工して使いたいと思う。
木・麻・綿・毛・絹など植物素材も動物素材も、それ自体のもつ利点を失わないよう生活に役立たせ、合わせてその内包する『美』を味わっていたいものだ。
<革>も経済効率を優先させたクローム革より、天然のタンニンで鞣した<シブ革>を身のまわりに置いて欲しい。
それが結局は、自然保護にもつながって行くのだから。 (F)
──次号につづく─
──良い革製品を考える(8)──
作り手が、最高品質の素材を目の前にして、何を作るかを決める時、素材が良ければ良い程、デザインはシンプルになってしまうものだ。
例えば、シーアイランドのトリプルAランクの綿生地を見たデザイナーは、必然的に最もオーソドックスなYシャツやブラウスを作ろうとする筈だ。 何故なら、画期的で独創的なデザインのものであれば、それ自体で高い評価は得られ製品はレーヨンで作っても高く売れる事が充分予測できるからだ。 友人のデザイナーは、ツヤのある綿や麻や絹には染色すらしたくないと言う。
生地そのものが文字通り輝いてくれるから・・・だそうだ。
しかし、世の中のあらゆる職人達にとって<シンプル>に作る事程、難しい事は無い。 ベーシックであればある程、ごまかしがきかない。 素人目にも技術の巧拙が容易に見抜けてしまう。 フレンチのシェフは「コンソメ・スープ」が一番緊張すると言うし、「もりそば」や「かけうどん」に至っては語る必要もないだろう。
良い素材は少なく、良い職人の数は更に少ない。 その2つが結びついたものが世の中で最も少なく、シンプルな良いものは探す事すら難しいと言う事になる。
自分の餅を自分でほめるの論法になるが、フリーハンドが昔からシンプルなBoston-Bagや一枚革のトートBagを作りつづけている理由と自負がここにある。
6月末から7月にかけてBBSで、フリーハンドのBagかどうかを街中で見分けられる・見分けられないの書き込みが続いていたが、その中で『見分けるコツは、シンプルなデザインのもので重厚な感じのするもの』と書いてくれた方がいらしたが、視点を<シンプル>にして下さって感謝している。 何処にでもありそうで探すと無いもの、
それが<シンプルで良いもの>なのだ。
(F)
──次号につづく─