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VOL17 ─サントリーレッドの呪い─

□□昨日のつづき□□

2003年3月25日号  VOL.017

──サントリーレッドの呪い──

 1977年、フリーハンドは直営のアトリエを開設した。
何とか思っていたようなオイルレザーの国産化に成功した事もあったが、その事よりもこの革で製品を作ってくれる職人がいなかったからだ。2月15日号で触れたように、かって旧日本軍の革装を扱っていた職人は殆んどが高齢で引退していたし、後継ぎ達はこの革に触れた事すら無かった。

 我々のオイルレザーに対する思いを語り、世界に誇れる日本の手工業技術を背景に海外進出の夢を語ると、協力を申し出る職人達もいる事はいた。しかしオイルを含む革の扱い辛さと、何よりもゴム糊もボンドも使えない事に彼等は一度でネをあげ、手磨き仕上げの効率の悪さに呆れて、最初の一回の注文に懲りて、二度と仕事を引き受けて貰えなかった。

──革はあるが作るすべが無い。そんな状況打開の為の会議は夜半から明け方まで延々と続いた。堂々巡りの打ちのめされたような会議だった。<サントリーレッド>の空きボトルは既に2本横になり、3本目も残り少なだった。その場に居た三人の中の一人が「俺たちが作るしかないよ」と上手く回らぬ舌で語り出した。

 若いと言う事は怖しい事だ。今こうして書いていて、しみじみと実感する。使命感というか、悲愴感というか、何とも言えぬヒロイズムに三人とも酔い知れていた。勿論、酔わせていたのは<サントリーレッド>のアルコールであったのだが、会議は急に踊り出し、弾み出し過ぎて宇宙まで飛び出した。

 雑巾一つさえ縫った事の無い三人が、何時からミシンを動かせるようになったのか文系ガチガチの三人が、何時から造形や製図をするようになったのか。今、振り返ると不思議でならない。 酔っぱらった挙句、何を語らい何を目指そうとしたのかは次号!ウーン、惜しい「切れ場」だ。

                                    (F)
                              ──以下次号──