□□昨日のつづき□□
2002年11月 5日号 VOL.005
欧州各国の国境は海ではなく陸つづきの中にある。又、国境は幾度となく広がり縮み、変化してきた歴史を持っている。人々も政治や宗教など様々な理由で対立し、離合集散を繰り返し来た。
異なった民族同士が理解しあおうとした時、日本人同士のように憶測で相手を判断する事はしない。 徹底的に言葉をもって論理的に話し合い、解釈し、判断し、理解する。
───我々日本人が、中国西奥部の遊牧民やヒマラヤの高地民族を訪れようとする時、彼等への土産物として、革製品や毛織物を持って行く事は考えない。彼等が羊や山羊やヤク等を飼育し、その毛や皮を利用し生活する事を知っているからだ。
彼等の日常に無いものは、プラスチック製のバケツやビニール製のレジャーマットでありソーラー式電卓やピンレバー時計などであろう。
彼等は、その軽さや美しさ、便利さを憧れるに違いない。
我々が、百円ショップ等を始めとして、身のまわりに有り余るようなものが彼等には無く彼等の身に着けている色とりどりな刺繍の施されている衣類やアクセサリーや敷物等は我々にとって垂涎モノの高級品である。
我々は、消費物資を手にし、彼等の手には溢れる程の時間がある。
これを文化の南北差と言う。 先進国とそうでない国と言う人もいる。
前号の話で、ヨーロッパの友人達が<不思議な日本人>と評したの
は当然の考えだ。
高度な科学技術と資本で産み出された工業製品で、欧州を席捲している先進工業国家の日本人が、何故、ビニール製のBagにあこがれるのか? と。
"日本には石油化学工業が無いのか?"と言ったベルギー人も、"SONYやTOYOTAのジャポンと、サムライやゲイシャのジャポンは違う国だ。ジャポンは2つある"と叫んだフランス人も、我々は決して笑えない。
笑われるべきは、<ブランド>とは何か、歴史を重ねた老舗の何処に魅力があるのかを考えないで、「皆が持っているから」とか、「高価なものは良いものなのだろう」とか、考えるのではなく何となく~感じて~買物をし、数を自慢する芸NO人や、エンコーまでして手に入れようとするジョシ高セイである。(今は偉そうに書いている私も23才のこの時は同じような程度だったけど・・・)
<革>とか<文化>とかに興味を持った私は、会社の休日にパリやミラノの街角で、又、年2度程の帰国時に銀座や新宿で、無闇矢鱈にインタヴューを始めた。その結果、自分を含めた日本人の「ある事実」に更に驚愕する。