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VOL 6 ─無知は 恥─

□□昨日のつづき□□

2002年11月 15日号  VOL.006

太古黎明の頃、私達人類の祖先達は狩猟生活の中に居た。
自らの命をつなぐため、他の動物達と生存をかけて命を奪い合っていた筈だ。その闘いの中で人間は、己の身体の脆弱さを何れ程呪った事だろう。運動能力に劣る人間は、確かに狩られる側の種として存在していたのだ。

やがて火を扱い、武器を持つ事を覚え、集団で狩猟をするようになっても、肉体の脆さは同じ儘であった。  その脆さの中でも、ネズミやウサギなど小動物の牙や爪の攻撃にさえ甚大な被害を受けてしまう皮フの弱さは、闘いの中で致命的な欠点と言えた。

人類は、猪や熊の剛毛に守られた皮フ組成を何れ程羨んだ事だろう。たまたま、彼等との闘いに勝利した後、生きるためにその肉を食らい、皮は当然剥ぎ取り身にまとい、小動物のそれは種々の道具として再利用する工夫を考えたに違いない。

だが、皮はいづれ腐ってしまう。

命を守る防具としての獣の皮を、便利な道具としての皮を、何うすれば腐敗から守れるか人類にとって絶対必需品である皮の研究は、この原初の時代から初まったのである。

動物達の<皮=Skin>→
──→腐らないよう加工する<鞣す>──→<革=Leather>

このようなに民族を問わず、数千~数万年もの間、必需品であった革に対しては人間として知識があって当然の事であろう。 繰り返す

が世界中の何の民族もである。
ところが、前出のように<日本人>だけが革への理解が無い。

異なった人種・民族が互いを理解し合おうとする時、共通認識を持つ事から始めなければならない。公式の異なる数学など成り立たない。私達日本人が正しく理解されるためには、私達が間違えている所があれば、正さなければならない。
革に対する無知もその一つである。

ヨーロッパ迄行き、塩化ビニール製やナイロン製のBagを買い漁るような異常さに、一刻も早く気づいて欲しい。  西欧人たちに"黄色い猿は不思議だ"と思われ、そして思われている内は、本当の理解は得られない。

(F)
──革なめしの歴史と、前号<驚愕の事実>はつづく─