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VOL52 ─鉄道事故と職人世界─

□□昨日のつづき□□

2005年5月15日号  VOL.052

──鉄道事故と職人世界──

G/Wも終わったが、今年のGWに限っては、鉄道に不安を感じた人が多かったと思う。
福知山線の事故は、少なからず衝撃を受けた。
NHK・BSのワールドニュースを見たが、世界中の多くの国でも、このニュースが放送されていた。  世界一安全と言われた日本の鉄道への信頼が揺らいでいるとの論調が共通だった。 また、正確な時刻を追い続ける日本の特殊事情とも言っていた。

そう言えば、新幹線に乗ると「この列車は、定刻より2分遅れで○○駅に到着致しますお急ぎのところ、まことに申し訳ありません」とのアナウンスを、しばしば耳にする。わずか1~2分の事なので、別段気にもせずに聞き流していたが、運転手・車掌にとって1分2分が余程のプレッシャーになっていた事を理解させられた。

ひと昔というか、ふた昔程前に、フランス人の友人が東京に来た時、山手線の2分毎に発着するのを見て、「こんな芸当を当たり前に成し遂げる日本人は、気違いとしか思えない」と言っていた。
逆に、こちらが彼の国に行った時、予定時刻を2時間も遅れて到着したのに、鉄道員も客も誰もが平然としている事に不思議な思いがしたものだ。  その時、一緒に居た同国人に「特急料金は何分遅れから、払い戻しされるのか?」と聞いてみたら、両手を広げながら「遅れるのが嫌なら、列車になんか乗れない」と言われ、絶句した事がある。
鉄道で、こうなのだから、BUSの時刻表ときたらあってもなくても同じで、停留所では、いつ来るかわからないBUSを悠然と待ち続ける風景が当たり前なのだ。

今度の事故で、あらためて考えてみたら日本の鉄道の運転手は、つくづくと職人的な人達なのだと思う。  机上で計算されたダイヤグラムの通りに「分」どころか秒単位でスピードを調整し、あの数十メートルもある列車を、数センチ単位の誤差で駅のホームの定められた位置に停止させるのだ。  先のフランス人の言う通り、気違いじみた几帳面さなのかも知れないが、我々は、それを明治時代以来、百年もなし続けてきたのだ。 そして、同時に「安全な乗り物」としての評価も手に入れたのだ。
そんな労苦の対価として得た最大のものは<鉄道マンとしてのプライド>だった筈だ。

そのような職人世界的なものと、効率とコストという利益追求構造がズレを生じたと言うより齟齬を来たしたのだろう。  TVの某コメンテーターが「安全のためなら時刻表は正確で無くとも良い」と言っていたが、それは全くの間違いだ。
世界一安全で、世界一正確な鉄道を維持し続けてこれたのだから、これからも、それを維持していかなければならない。その抵抗を見つけ、排除すれば良いだけの事だ。
安全のためと言う大義名分を振りかざすのなら、その一方で、芸術的とも言われるダイヤ編成をしてのける作成者や、終電の後、長い線路を一歩一歩点検している保線員や車両を金槌で叩いて異常を聞き分ける技術者など、先の運転手も含めて、名も無い職人達の労苦に、もう少し光を当ててあげたい。  彼等を認める事が、彼等のプライドを育て、それこそが結果的に安全につながって行く筈なのだ。

妻を今度の事故でなくした中年の紳士が、TVのインタビューに答えて、「私も含めて日本人が、日本と言う国がゆるんでいる」と言っていたのが、いつまでも心に残る。

──次号につづく── (F)