□□昨日のつづき□□
2003年5月15日号 VOL.022
──良い時計を考える(2)──
前回号で、筆者が<ロレックスは良い時計と呼ばない>とした事について、何件かの抗議?のmailを頂いた。 「ロレックス社はクラフトマンシップにのっとったポリシーと品質維持を図っており立派なクラフトマンズウオッチである」との要旨であった。
そもそもモノづくりをしている人間にとって、産み出す製品の品質の向上を目指すのは当然の事である。 しかし企画段階に於て何れ程クラフトマンスピリッツを傾注しようが、生産段階に於ての熟練した職人の技術と思想が加わっていないとしたら、それは職人が作ったものと言えるのだろうか?
トヨタの車も、東芝の冷蔵庫も、リーガルの靴も、クラフトマンシップに基づいて作り出されているし、それらの商品の宣伝コピーにもそう書いてある。しかし、何処にクラフトマンズカーとかクラフトマンズシューズと呼ぶ人が居るだろうか? 決して差別語として言うのでは無いが、それらは「職人」が作ったものでなく「工員」が作ったものだ。
もう、お分かりの事と思うが、このシリーズで連綿と訴えている良い品質(いいモノ)とは、大量生産を前提としている良い<商品>では無く、広告宣伝する事自体が不可能な少量生産の<モノ>の事である。 読者諸氏にも、ショッピングモールやネット通販にひんぱんに登場する「職人メーカー」について再考して欲しい。
(F)
──次号につづく─