□□昨日のつづき□□
2004年12月15日号 VOL.048
──釈迦とキリスト──
私のまわりに居る20歳代の男女計17名に質問した。 「お釈迦さまの誕生日は何月何日か答えられる人?」 結果0人。 「では、キリストの誕生日は?」勿論、聞くまでも無い。 ちなみにクリスチャンは1人もいない。日本民族の無宗教さに関する話は別にして、12月25日が何の日か、1億国民の全てが知っているとは何と驚くべき事だろう。 当たり前の事をあらためて言うと、降誕祭の意味を認識しているのではなくて、意識はクリスマス・イヴに集中している。
子供達にとっては、自分の誕生日の他に、とっておきのプレゼントを堂々とねだれる千載一遇の特別日だし、少し色気づいてから後は、1年に1度の最も重要なイベントの日でもある。 この日をもって一生の伴侶が決定づけられたとの話を聞いた事も決して少なくないから、この日の為に数か月分の稼ぎをつぎ込むようなケースもあって不思議では無いのかも知れぬ。
半世紀前までは、日本人にとって12月24日も2月14日も特別な日では無かったし余程12月14日の方が有名だったろう。(前述17人は、これも全滅かも知れない)どうやら、百貨店や菓子メーカーの戦略に見事取り込まれてしまったような気もするがきっと、このイベントはこれからも続いて行くに違いない。
人は誰でも、自分以外の人を喜ばせるのが好きなのだろう。 プレゼントの包装を開ける時のワクワクした感情が、プレゼントを渡す方に共鳴して何とも幸福な気分になって来る。 品物を手にした時の嬉しげでいてテレたような・・・子供のようにはしゃいで良いのかどうか喜び方を考えて困った様な顔を見ていると本当に楽しい。
プレゼントする方は、既に品物選びをしている時から、この至福を感じているのだ。
今年は恋人同士でなくとも、今さらなどとテレずに、古女房や古亭主にも、両親達や大きくなってしまった子供にも、会話が少なくなった兄弟姉妹にも、プレゼントを用意しては如何だろうか? イエス=キリストも愛を説いているようだし・・・・。
──次号につづく── (F)