□□昨日のつづき□□
2004年10月25日号 VOL.045
──発泡酒──
先月、今年2回目の手術入院をした。
手術自体は心配するようなものではない(と本人は思っている)ので、入院中の禁煙と前後3週間にもなる禁酒の方が余程、辛く苦しいものだった。
さて、医師より申し渡された禁酒期間が過ぎて、楽しみにしていた解禁日。 風呂から上がって、いざ出陣と食卓を見ると、そこには何と<発泡酒>。 「買い忘れちゃったの。ごめんね。お中元の時貰ったのが有ったから、我慢してね。」の声は我が愛妻。 買いに行かせるのも可哀想なので(怖いので)、「全く、女って奴は」の声は飲み込んで、ぐっっと1杯。 「まずい!!」と声に出してもう1杯。
何だこれは!! 俺が○○才の頃より親しんで愛しつづけて来た<ビール>の味ではないぞ。 ましてこの2週間、夕食時に口寂しいので、六甲の何たら・南アルプスの何たら・雪国の何たらを取っ替え引っ換え飲んで忍んだ、あの艱難辛苦が報われないではないか。 長年、愛し続けると酒も女も味が変ってしまうのだ。 と、訳の分らない事を叫びながら、シーバスのロックを飲み過ぎてしまった。 これでまた身体をこわしたら、<発泡酒>を送って来た従弟は一生出入り禁止にしてやる。
ところで、世の中は<ビール>より<発泡酒>の方が売れていると言う。 何故なのだろう? 味の「差」は理解しているのだが、経済的理由を優先させている人が多いのだろうか? それとも、大した差に感じられないから、単純により安い方に行っているのだろうか? 私なら毎日発泡酒を飲むのなら、週1度飲まない日を作ってもビールを買うけどね。 そう言えば、飲み友達に好きなビール銘柄を聞くと「何たらドライ」と答える奴が結構多い。 麦とホップが原料の筈のビールにコーンスターチを入れたこの銘柄が、数年の間、売上げトップ独走なのだそうだ。
嗜好の変化の前に、本物志向のこだわりは、古いのだろうか?
本物の「革」でありたいと頑ななFreeHandも古いのだろうか
──次号につづく── (F)