□□昨日のつづき□□
2003年2月5日号 VOL.012
──久しぶりに革の歴史──
1945年、戦いに敗れた日本はアメリカを手本にして急速に復興する。
欧米型民主主義の下、米国式の合理的な考え方を取り入れ模倣し、経済的には奇跡的な成功を果した。 しかし、同時に米国的「効率主義」「原価意識」は日本人としての本質まで変化させたようだ。
「他人にウシロユビを指されぬ様」「己れに恥じる」と言った日本的な美意識は何時のまにか失われ、経済的な成功のみを良しとする<拝金主義>が横行し、やがてバブルに浮かれデフレスパイラルに落ち込んだ現在に迄つづいている。
革職人の世界は更に惨憺たるものであった。 他業種の職人の生産するものと異なりその産み出された靴なり鞄なりを正しく評価すべき消費者が、この国では皆無に近かったのだ。 いつか述べたように鞄づくりと袋物づくりの違いも分らず、革と合皮の区別もつけられない市場の中では、革職人は、ましてや腕の良い職人達は存在する
隙間さえ見つけられなかった。
必然的に大手メーカーは「効率」と「原価」から考えても、簡便な硫酸クロームで鞣した安直な素材を、内職やパートなど低賃金で製作し、広告宣伝による需要の喚起にのみ頼って拡大して来た。 戦後40年~50年もの間この考え方で進み、高付加価値を産み出せる職人達を育てて来なかったのだから、韓国や中国の製品に押されまくり倒産して行くのは自業自得と言っても良い。
21世紀の現在、ゴム糊を使わずに成型し、樹脂塗料など使わずに手磨きで仕上げられる腕を持った鞄職人と呼べる存在は、私達フリーハンドのスタッフを除けば、日本中に50人は居ない筈だ。 同様に、成甲から縫製まで機会に頼らずに手で仕上げられる靴職人も3ケタは居るか何うか?
勿論、このような状況を引き起した責任の一端は消費者にもある。
国内の伝統工芸技術が次々と失われて行くのを見ても分る通り、営利主義の雑誌情報を盲目的に信じ込み、自分で考えようともせず、作られた流行の上で踊るしかなかった一般大衆と言う存在だ。
怒り狂った処で、次号は針と糸さえ持った事の無い脱サラ組の私達が、何故アトリエを開き職人を目指したのか、1970年後半頃を語って見よう。
(F)
──以下次号─