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VOL44 ─千駄ヶ谷界隈─

□□昨日のつづき□□

2004年8月5日号  VOL.044

──千駄ヶ谷界隈──

 Shopを千駄ヶ谷に移して3週間が過ぎた。  ここはオフィス街の色彩が強いので初めて来店される方にも分かり易いと好評のようだ。 又、車でのご来店も明治通りに面していて、コインパーキングも並んでいるので便利さを喜ばれている。

 興味がおきて、江戸末期の古地図を開いて見た。 文久2年改正版としてあるから西暦1862年で殆んど幕末と言って良い。 目星は、高遠藩内藤駿河守の下屋敷=現在の新宿御苑である。 江戸四宿の一つで内藤新宿の地名もここから始まり、甲州街道の起点であった所だ。 現在の新宿駅よりは1km程、四谷寄りになる。
当時から現存する「天龍寺」「千駄ヶ谷八幡(鳩森神社)」「彦根藩井伊家下屋敷(現在の明治神宮)」等をコンパスとして考えて見ると、フリーハンドの新店舗は紀伊家別邸と戸田越前守屋敷にはさまれた幕府の小役人達の家々跡に立地するようだ。

 江戸時代は世界史の中でも特筆すべき程、260年にもわたって平和が続いた時代だ。 封建社会で庶民は圧政に苦しんでいたなどと言うのは左傾がかった社会科教師のセリフで余程、現代より民衆は生活を楽しんでいたようだ。 その事を立証する理由の一つに<役人>の数が極端に少ない事をあげたい。
当時、世界最大の都市・江戸は人口約100万人(一般庶民約60万人)に対して、庶民を管理する南北両奉行所の役人数は合計290人。月番交替だから実数145人だった訳だ。
この145人で、現在の都庁の業務・警視庁・裁判所などの実務をこなしていた事になる。
 末端の行政は、落語に出てくる「大家さん」が行う。 大家さんは店舗や長屋の所有者ではなく、現在で言えば管理人のような立場だ。 

給料は幕府からではなく土地家屋の所有者である地主から貰う。 「五人組」などの組織を作り、何かと長屋の住人を束ねいろいろと面倒を見ていた。 (大家と言えば親も同然)なのである。 言ってみれば完全なる民間委譲が出来ていたと言うべきであろう。

 現在の都民人口約1200万人。 都行政に携わる公務員は何十万人いるのだろう?
145人×12倍=1740人にしろとは言わないけれど、「区民税」も「法人都民税」も高すぎる。<役人天国>もいい加減にしろと叫びたい。 スリムな行政を望みたい。
首相も言っているでしょ。「民間に出来る事は民間に・・・」 あの党じゃダメか。

                        ──次号につづく── (F)